蘆名盛氏(あしな もりうじ) 1521-1583
蘆名家16代当主。蘆名家を伊達家と並ぶ奥州屈指の大名に育て上げた、蘆名家中興の祖。同盟をうまく利用し、会津一円から北越後に及ぶ所領を獲得した。(「信長の野望・新生」より)
コーエーテクモゲームズ「信長の野望・新生」の武将紹介、
余談ですが、このシリーズの武将紹介、毎回、読んでしまいます。
この短い文章の中に、武将の特徴をよく収めていると思わされます。
その武将紹介においても、蘆名盛氏は高い評価を受けた表現になっています。
花の1521年生まれ、蘆名盛氏の同級生
武田信玄、陶晴賢、六角承禎、犬童頼安、宝蔵院胤栄、最上義守ほか
「信長の野望・新生」における蘆名盛氏のステータス
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 |
---|---|---|---|
77 (193位/2206人) |
66 (536位/2206人) |
83 (99位/2206人) |
85 (69位/2206人) |
統率77 ※以下、同値の武将
細川幽斎、大友宗麟、荒木村重、島津新日斎、蠣崎義広
鬼庭左月斎、九戸政実、山中鹿之介、稲葉一鉄、清水宗治
➡玄人好みの「渋い」人選だといえるでしょう。本ゲームにおける統率は、合戦の防御力にあたります。この数値が大きいほど、被害を受けない。よって、数値が大きいほど、やられにくい、倒されがたいということになります。ちなみに一番高い100は、武田信玄。77という数値は、高いとは言えませんが、低いとも言えない。
武勇66 ※以下、同値の武将
別所長治、成田長親、六角承禎、織田信澄、結城政朝、
➡武力は、相手に与えるダメージ、すなわち攻撃力を意味します。武力66はあまり強くありません。同じ数字の武将の面々をみても、強くない。常陸の猛将、佐竹義重を撃退していることから、70代後半くらいいってもいいと思います。もう少し高い評価が望まれます。
知略83 ※以下、同値の武将
高橋紹運、井伊直政、柳生宗矩、甘粕影持、岡部元信、蜂須賀小六、土井清良、佐竹義重、直江景綱、海北綱親、中野宗時
➡知略は、計略の成功率、シロ攻めの攻撃力に影響します。知略83は全体から見れば、高い方に入ります。しかし、上杉謙信や北条氏康、武田信玄らと対等に渡り歩いた同盟関係を結ぶなどの手腕は、90代前半くらいの評価はあってもいい分析します。
政務85 ※以下、同値の武将
真田昌幸、片倉小十郎、下間賴廉、丹羽長秀、蒲生氏郷、安東愛季、深水長智、堀直政、蠣崎季広、佐竹義宣、池田盛周、臼井鑑続、前田利常、徳川秀忠、大内義隆
➡政務は、文字どおり政治の手腕です。内政を進め、国力を上げ、金銭や兵糧などの徴収に影響します。多くの兵士を雇うためには、多くのお金と兵糧が必要になります。そのために必要なのがこの数値です。蘆名盛氏のステータスの中でもっとも高い85という数値を記録します。会津に収まらず周辺一円120万石ともいわれる所領を収めた手腕がこの数値に表れていますが、もっと高いのではないでしょうか?90前半でもいいと分析します。
総じて
蘆名盛氏は、「信長の野望・新生」においても名将であると断言できます。ただ、功績に照らし合わせると、もっと高いステータスがふさわしいと分析します。そうでなければ、上杉謙信、北条氏康、佐竹義重、武田信玄らと対等に渡り合えるわけがありません。
評価を下げる原因としては、跡取りの問題をきちんと解決できなかったこと。後の独眼竜、伊達政宗を抑える後継者たちが抑えることができなかったことが挙げられます。これがもし逆であったら、蘆名家の家臣団も数値も上がっていたことでしょう。