歴代城主 - 向羽黒山城跡特設サイト | 会津美里町

向羽黒山城跡の魅力

  • 蘆名家紋
  • 伊達家紋
  • 蒲生家紋
  • 上杉家家紋
画像:向羽黒山城跡

歴代城主について

年代   歴代城主
1467 応仁の乱  

1543

鉄砲伝来  
1549 キリスト教伝来  
1553 川中島の戦い  
1560 桶狭間の戦い  

1561

向羽黒山城築城開始

蘆名時代

蘆名盛氏

蘆名盛氏 1521-1580

蘆名家16代当主。蘆名家を伊達家と並ぶ欧州屈指の大名に育て上げた、蘆名家中興の祖。同盟をうまく利用し、会津一円から北越後に及ぶ所領を獲得した。(「信長の野望・新生」より)

1568

向羽黒山城(岩崎城・巖館)が完成  

1589

摺上原の戦い(蘆名VS伊達)

蘆名氏滅亡

伊達政宗

伊達政宗 1567-1636

伊達家17代当主。輝宗の嫡男。瞬く間に周辺諸国を切り従えて24歳で奥州に覇を唱え「独眼竜」と畏怖された。権謀術数で豊臣・徳川両政権を生き抜いた。(「信長の野望・新生」より)

1590

伊達時代

小田原攻め、奥州仕置き

1590

~1598

蒲生時代

蒲生氏郷

蒲生氏郷 1556-1595

織田家家臣。賢秀の子。主君・信長の娘を娶る。本能寺の変後、豊臣秀吉に仕え活躍、陸奥会津92万石を領した。文武に秀でたその器量を秀吉は恐れたという。(「信長の野望・新生」より)

1598

~1601

上杉時代

上杉景勝

上杉景勝 1555-1623

出羽米沢藩主。長尾政景の子。上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱に勝利して家督を継いだ。関ヶ原合戦では西軍に属し、最上・伊達軍と戦った。(「信長の野望・新生」より)

直江兼続

直江兼続 1560-1619

上杉家家臣。筆頭家老を務めた。豊臣秀吉の評価は高く、陪臣ながら出羽米沢30万石を領した。関ヶ原合戦の際は西軍に属し、徳川家康に「直江状」を送った。(「信長の野望・新生」より)

1600

関ケ原の決戦で東軍が勝利

 

1601

上杉景勝が会津から米沢に減封され、

向羽黒山城が破城

 
ページトップに戻る